第1章 ハザマの世界 7
「タック、どこまで行くの?着いたわよ。」 少し下にあるドアの前から、ルーシーが小さな声で呼び止めた。 タックは足を止め、はっとして振り返った。心の中に渦巻く感情を押し込むことに集中していたせいで、いつの間にかケン先生の扉の前を通り過ぎてしまっていたのだ。 「すみません…」 タックは頭を下げながら、ルーシーの元まで階段を下りていく。 ケン先生の扉の前に戻ると、タックは深く息を吸い込み、心を整理するように立ち止まった。緊張でこわばった手を前で組み、ルーシーに視線で合図を送る。 ルーシーはタックの様子をちらりと確認すると、軽くうなずいてから、扉をノックした。 「入りなさい。」 扉の向こうから返ってきたのは、ケン先生の落ち着いた声だった。その声はいつものように静かだが威厳があった。 ルーシーが、扉の取っ手に手をかけ、ゆっくりとドアを開ける。 「失礼します」 ルーシーは静かに一歩足を踏み入れ、軽く会釈をして部屋に入った。その動作は落ち着いていて、余裕すら感じさせるものだった。その後ろから、タックも続く。タックは外よりも一段とひんやりとした空気を部屋の中に感じた。 タックは無意識のうちに背筋を伸ばし、ルーシーの落ち着いた後ろ姿を目にして、ほんのわずかな安心感を覚えた。だが、それでも心の奥底には不安が残っている。 ケン先生は机に向かい、書類に目を通したまま、無駄な言葉を一切省いて要件を切り出した。 「次の召喚の準備は整いそうか」 その問いかけに、ルーシーは自信に満ちた声で答える。 「はい。問題ございません。ケン先生」 「よろしい」 ケン先生は一度うなずくと、書類から視線を外さずに言葉を続けた。 「うしろの青年はどうだ。だいぶ使い物になったかな。」 「はい。とてもよくやっています。タック君はとても優秀です。」 ルーシーはまた迷いなく答える。 「それはよかった」 ケン先生はようやく書類から顔を上げ、タックに目を向ける。その視線には冷たさがあり、わずかにタックを見透かすような鋭さを感じさせた。 「ではなんと言ったかな、君たちのところのモンスター…」 「ドラプニです」 タックは、感情が抑えきれずにケン先生の言葉を遮ってしまった。しかし、その声はわずかに震えていた。 ケン先生は、一瞬驚いたように眉を動かし、鋭い視線で一瞬、タックを見たが、すぐにいつもの冷静さを取り戻して言葉を続ける。 「そうか。そのドラプニだが、火を扱えるんだったな。48時間後に召喚の可能性がある。それまでに間に合うように準備を済ませなさい」 タックはその言葉を聞いて、一瞬何かを言いかけた。しかし、ルーシーの鋭い視線を感じ取り、その言葉を飲み込む。 「はい。もちろんです」 ルーシーが間髪を入れずに答える。どんな時でもルーシーは冷静だ。 「よろしい。では戻りなさい」 ケン先生の声には、相変わらず何の感情も感じられなかった。ただ淡々と指示をするだけだ。タックが何か言いたそうにしていることなど、ケン先生にはまるで気にも留めていないようだった。 タックは目を伏せ、いつも通り静かに頭を下げる。 「失礼しました」 その言葉が冷たい空気の中に吸い込まれるように消えていくと、2人は静かに部屋を出た。